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京都洛北、八瀬と大原の写真です。自粛も解け京都訪問を再開しました。写真は6月末頃撮影。

まずは瑠璃光院。叡山電車「八瀬比叡山口駅」から徒歩五分です。

磨きこまれ黒光りする机に、青紅葉が反射して息を呑むような美しさです。
インスタ等で紹介され、世界的に有名になりました。書院二階からの眺めです。

瑠璃光院は今は浄土真宗「光明寺」の京都別院として拝観しますが、もとは明治、大正の実業家田中源太郎が設立した庵で、あの三条実美が“喜鶴亭”と名付けた由緒があります。
写真の通り黒机のリフレクションが絶景で、特に秋の紅葉時は4時間待ちになるほどの人気です。
今回はコロナの影響で観光客が少なく殆ど待ちませんでしたが、それでもそこそこの参拝者がいました。

二階の眺望がとにかく有名ですが、お庭も大変美しいです。
書院入り口前の新緑ですが(↑)まるで緑の海のよう。

一階から望む“瑠璃の庭”です(↑↓)。その名の通りの苔の色、モフモフの極致です。

(↓)池泉鑑賞式庭園“臥龍の庭”です。こちらも苔が美しい。

瑠璃光院は八瀬比叡山口駅近くにポツンと佇んでいますが、駅近くに「叡山ケーブル」と呼ばれるロープウェイがあり、比叡山山頂に登れますよ。

 

大原三千院(↑)に向かいます。八瀬比叡山口駅からバスに乗り、約20分で大原バス停に到着します。

三千院は「京都、大原三千院、恋に疲れた女が一人」の歌で有名ですね(少し、いやかなり古いですか)。バス停から約10分ですが、途中田園地帯を抜けます。

大原は日本一のしその産地です。

参道にはたくさんのお土産屋が並びます。しば漬けや京漬物などを売っています。
上は「大原女」の人形です。大原女とは、今日の都へ行商に出かけた女性達を称した言葉で、独特の衣装と売り物(薪やしば)を頭に乗せる姿が親しまれたようです(道路が整備されていない時代、本人達は大変だったでしょうね)。平安から大正時代まで続いたとのこと。

三千院の由来は以下を参照ください(三千院HPより)

三千院は延暦年間(782‐806)に伝教大師最澄が比叡山東塔南谷(とうとうみなみだに)の山梨の大木の下に一宇を構えたことに始まる。
その後、慈覚大師円仁に引き継がれ、平安後期以降、皇子皇族が住持する宮門跡となった。
寺地は時代の流れの中で、比叡山内から近江坂本、そして洛中を幾度か移転し、その都度、寺名も円融房、梨本坊、梨本門跡、梶井宮と変わることとなる。
明治4年、法親王還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇御宸筆の勅額により、三千院と称されるようになる。
明治維新後、現在の地大原に移り「三千院」として1200年の歴史をつないでいる。

上は客殿から展望した聚碧園(しゅうへきえん)、池泉観賞式庭園です。
縁側で抹茶が楽しめます。

緑にツバキの赤がアクセントを与えています。雨上がりということもあり、全てが生き生きとしています。

宸殿から外に出ると有清園(ゆうせいえん)です。苔が美しい池泉回遊式庭園です。

水があまりにも透明で上下対称(?)です。

わらべ地蔵です。苔と一体になってますね。置かれたのは意外と新しく平成になってから。
静岡県藤枝市の石刻家・杉村孝さんの作品です。

新緑のカーテンに包まれた弁財天です。「京の七福神」の一つだそうな。

三千院の境内はとても広いです。有清園の脇から階段を上るとあじさい園が広がります。

あじさいは数千株植えられています。6月中旬から7月に入っても可憐な姿を楽しむことができます。

奥に見えるのは往生極楽院です。以下を参照ください(三千院HPより)

三千院の歴史の源とも言える簡素な御堂です。
平安時代に『往生要集』の著者で天台浄土教の大成者である恵心僧都源信が父母の菩提のため、姉の安養尼とともに建立したと伝えられます。
往生極楽院に祀られている阿弥陀三尊像はお堂に比べて大きく、堂内に納める工夫として、天井を舟底型に折り上げていることが特徴です。
その天井には現在は肉眼ではわかり難いものの、極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が極彩色で描かれており、あたかも極楽浄土そのままを表しています。
堂内中心に鎮座する阿弥陀如来は来迎印を結び、向かって右側の観世音菩薩は往生者を蓮台に乗せる姿で、左側の勢至菩薩は合掌し、両菩薩共に少し前かがみに跪く「大和坐り」で、慈悲に満ちたお姿です。
なお、建物は重要文化財、阿弥陀三尊像は国宝に指定されています。

弁天池から往生極楽院を臨みます。

清々しい新緑と往生極楽院です。

京都中心部から少し遠いですが時間をかけて訪れる十二分の価値がありますよ。
紅葉時もお薦めです。早く秋にならないかな。

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