スポンサーリンク

現在京都訪問を自粛しております。過去撮影した写真を紹介していきます。

今回は京都鷹峯(たかがみね)にある二つの古刹です。まず光悦寺

(↑)参道、青モミジが綺麗です。2019年9月撮影

徳川家康が1615年に本阿弥光悦に与えた地が鷹峯です。
京都北部にあるこの鷹峯は、当時、未開発で物騒な土地でした。そこに光悦の一族や様々な工芸の職人らが移り住み、一大芸術村として栄えたのです。
光悦は日蓮宗の熱心な信者でした。没後、彼の住屋は光悦寺として生まれかえり、今に続きます。

(↑)同じく参道を2020年1月撮影

本阿弥光悦(1558-1637)は京都生まれ。刀剣の磨研・浄拭・鑑定を家職とする名家の出身。
マルチ分野で才能を発揮した「美の天才」。蒔絵、陶芸、茶道、書道、作庭など多分野において優れた芸術作品を生み出しました。俵屋宗達を見出したのも彼です。光悦無くしては「琳派」も存在しなかったでしょう。

2019年9月撮影

2020年1月撮影

光悦寺は伽藍内は入れません。回遊式の庭園には茶室が複数点在します。
お寺を参拝するというより、趣味の良い庭園を散策する感じです。
とても静かで神聖で、心が洗われるようなのは、参拝と同じです。

「光悦垣」です。Kyoto Design ホームページより引用

光悦寺にあるこの竹垣は、光悦が晩年を過ごしたといわれる大虚庵の路地と光悦寺の境内を仕切っています。

矢来風に菱に組んだ組子の天端を割竹で巻いて玉縁とした光悦寺独特の垣、垣根の高さは親柱からなだらかなカーブを描き端部が低くなっています。

平面的な部分と立体的な部分の調和がとれた光悦好みのこの竹垣は、現在ではさまざま場所で見ることができます。

2019年9月撮影

散策していると突然視界が開けます。鷹ヶ峰、鷲ヶ峰(わしがみね)、天ヶ峰(てんがみね)、総称して鷹峰三山を臨むことができます。
後方に茶室があります。その軒下で、何もせずぼ~と座っていました。贅沢すぎる時間です。

 

続いて常照寺です。光悦寺から歩いて五分くらいでしょうか。

(↑)吉野の赤門

常照寺は本阿弥光悦が土地を寄進して開創された日蓮宗の寺院です。
何といっても、(2代目)吉野太夫との繋がりで有名です。
上の朱塗りの山門は、吉野太夫が23歳の時に寄進したものです。

(↑)鬼子母尊神堂 朱色の灯篭が何とも女性的です

吉野太夫は京都島原で遊女をしていた実在の人物。太夫は遊女の最高位で、高い教養と諸芸に優れた才色兼備の女性でないと到達できない地位でした。吉野太夫は、当時の上級文化人の嗜みを全て身に着けた「スーパー女性」だったのでしょう。お客の方も、嗜みのない「田舎者」はいくらお金を積んでも(太夫に)相手にもされなかったそうです。京都のことだから「いけず」に断ったのでしょうね。情景が目に浮かびそうです。

(↑)境内「白馬池」2019年9月撮影

吉野太夫の美しさ、素晴らしさは遠く明(当時の中国)にも知れ渡ったそうです。明国から彼女にラブレター(!)が届いたと伝えられます。

そういう吉野太夫ですから、男たちが競って見受けをしようとしました。勝者は豪商かつ当時有数の文化人といわれた灰屋紹益(はいやじょうえき)。しかし紹益の親に反対され、二人は駆け落ちをしたそうな。太夫は38才で没し常照寺に葬られました。

白馬観音。手に法華経を持ち(珍しく)白馬に乗った観音様です。吉野太夫は菩薩となり馬に乗って、今でも天地を行き来しているのかな。

 

スポンサーリンク
おすすめの記事