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京都・一条寺駅近辺はメジャーな観光スポットではありませんが、個性あるお寺が3つあります。いずれも叡山電鉄一乗寺駅から徒歩15分程度の距離にあり、朝9時頃から参拝を始めれば午前中に3つとも廻ることができます。

まずは詩仙堂から紹介します。

(↑)入り口の小湧洞の門

詩仙堂は、武人・文人の石川丈山が隠棲の地として建てた山荘が基になっています。
石川丈山は徳川家康に仕えた武人でしたが、大坂夏の陣をきっかけに引退、その後文人として朱子学や禅に勤しみ、59歳で一乗寺に移り90歳で大往生するまで過ごしたのでした。

「詩仙の間」から眺める枯山水庭園。枯山水といっても石は少なく皐月の刈込で中国の山並みを表現した独特のもの。撮影の日は狙い通り雨が降り、しっとりとしたお庭を撮ることができました。

石川丈山はこの地で文人として好きなこと、具体的には漢詩と煎茶と作庭に没頭して過ごしたそうです。59歳から90歳まで約30年!何と羨ましい老後の過ごし方でしょう。小堀遠州や本阿弥光悦との交流もあったようです。

上は外から見た書院。三階建てで「嘯月楼」と呼ばれます。先は「詩仙の間」から枯山水庭園を眺めていたのでした。外に出て回遊式庭園に向かいます。

紅葉とサツキの色づきで有名な詩仙堂ですが、雨に打たれた新緑も美しい。

しっとりとした絨毯の様な苔と、可愛いお地蔵さん。

帰路です。先と逆側から嘯月楼を臨みます。

中門「老梅関」です。人の眼みたいでしょう。味のある石畳を伝って詩仙堂を後にしました。

尚、詩仙堂は正しくは「凹凸窠(穴冠に果)」(おうとつか)と呼ばれ、現在は曹洞宗大本山永平寺の末寺となっています。

詩仙堂から徒歩5分で圓光寺(↑)に着きます。

圓光寺は臨済宗南禅寺派の寺院。由来につきましては以下参照ください(圓光寺HPより抜粋)。

圓光寺の始まりは、徳川家康が開いた洛陽学校。
僧俗を問わず入学を許し、その開かれた校風は多くの学僧や絵師、墨跡文人たちを育み、日本文化の発展において大きな役割を果たした。
明治以降には、尼寺の修行道場として俗世を捨てた女性たちを包み込む。
内なる声に耳を傾け、求道の場とする圓光寺の臨済禅。
その思想は、伽藍や庭園の佇まいに今も息づいている。

上は「奔龍庭」です。2013年に造営されています。パンフレットによりますと「白砂を雲海に見立て、天空を自在に奔る龍を石組で表現」しているのとのことです。

枯山水庭園ですが、明らかに(例えば)龍安寺のそれとは異なりますね。重森三玲みたい。

本堂に上がり、“十牛之庭”を眺めます。私一人でしたので、このような額縁写真を撮ることができました。紅葉の時期は不可能でしょうね。

“十牛之庭”は江戸初期の造営とのこと。悟りに至る10のステップを牛になぞらえた「十牛図」を表現したという、池泉回遊式庭園です。

雨上がりで苔が非常に美しいです。可愛いお地蔵さんは流行りですね。

“栖龍池”です。京都洛北では最古の池泉だそうです。緑の光のシャワーを浴びているようです。

十牛之庭の背後は竹林もあります。円山応挙もよく訪れたことから“応挙竹林”と呼ばれます。

方丈に襖絵「琳派彩還 四季草花図」が飾られています。渡辺章雄氏が2002年に奉納されたものです。現代的な琳派ですね。

圓光寺はとても手入れが行き届いた美しいお寺です。コンパクトな敷地に枯山水、池泉回遊式庭園、そして竹林まで整備されています。現代的な要素もあり、大きな寺院とまた違った味わいがあります。お薦めです。

圓光寺から徒歩10分で金福寺です。松尾芭蕉村山たかで有名なお寺です。

サツキの竹山と白砂の枯山水庭園。小さなお庭ですが独特の風情があります。

本堂内には村山たかの遺品が陳列されています。

村山たかは大河ドラマ「花の生涯」で有名になりました。
幕末、安政の大獄を主導した井伊直弼の女スパイとして活躍したのが村山たかでした。
美貌の芸妓として京都のお座敷に呼ばれることが多く、様々な薩長の情報を入手できたのでしょうね。
後に彼女は、尊王攘夷派に囚われ京都・三条大橋の橋脚に縛りつけられ、生きさらしにされてしまいます。さらされて3日後、宝鏡寺の尼僧に救われ、その後は剃髪して妙寿尼と号し、金福寺で余生を過ごしたのでした。

敷地内の高台には”芭蕉庵”と呼ばれる草庵があります。文字通り、芭蕉が好んで滞在したころからこの名前が付けられたそうです。
芭蕉を敬愛した与謝蕪村は一時荒廃した金福寺の再興に尽力したそうです。蕪村のお墓もここにあります。

 

コンパクトですがとても個性的なお寺を三つ紹介しました。
叡山電鉄・一乗寺駅近辺、お薦めです(駅周辺にラーメン街道がありますよ。ガッツリ系ラーメンが味わえます)。

 

 

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