
この金融論では、最初に「お金はどのように生じるのか」「お金はどの様に誤解されているか」「お金が少ないと社会はどうなってしまうのか」、を説明しています。前回は「お金は銀行借入=信用創造で生まれること」、「お金の上限(信用創造の限界)は国民預金と誤解されていること(預金制限説)」を解説しました。
今回はその続きで、なぜその誤解(預金制限説)が生じているか、その背景を探ってみたいとおもいます。
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金本位制度という「イメージの呪縛」
金本位制度
現在、世界の殆どの国は管理通貨制度を採用しています。しかしそれ以前は「金本位制」でした。
金本位制とは、中央銀行(日銀など)が金庫に保管している金の量に応じて「紙のお金」を発行する制度です。つまり紙幣の誕生です。最初にイギリスが1816年に始めました。日本は1897年に採用しました。
この金本位制には、直感に訴えかける解りやすさがあります。
「この紙のお札は貴金属たる金と交換できるから価値を持つ」という説明は、すっと頭に入るのではないでしょうか。
「一万円はどの程度の金と交換できたのでしょうか?」という質問が直ぐに来ますが、お札と金の交換そのものは違和感なく理解してくれます。
この「金本位制」のイメージはそのまま「預金制限説」に繋がります。つまり、金の巨大な塊をバックにお金(預金)が作られて、それを上限に銀行が貸し出しを行うというイメージ。
現代は「金本位制」では無いことを知っている人も、「金に代わる何かが」今でも同様の役割を果たしていると、ぼんやり感じているのではないでしょうか。「金に代わる何か巨大な塊」がお金のバックにあるというイメージです。
金本位制度の崩壊、そして管理通貨制度へ
金本位制は長く続きませんでした。なぜなら、経済の成長に伴って必要となるお金の量が増えるのに、貴金属である金の量には制限があるからです。このお金不足は様々な弊害を生み、最終的には1929年の「大恐慌」として最悪の形で現れました。金本位制は事実上機能しなくなり、その後いくつかの変遷はあるものの、各国は金本位制から離れ、現在の「管理通貨制度」に至っています。
管理通貨制度とは、金を代表とする実物の何かを背景に紙幣を発行することを否定して現れた制度、と理解するのが一番です。
それでは今はどうやっているの?というと、中央銀行がその国の経済状況に応じてお金の発行量を決めている、のです。正しいけれどふわっとした説明ですよね。
しかし「金本位制を否定して(維持できなくなって)現れた制度」と考えれば、イメージが掴みやすくなると思います。少なくとも、中央銀行の金庫に金(あるいはそれに代わる何か)が保管されていて、それを原資にお金を作っている、という誤ったイメージは払拭することができましたよね。
一ドル=360円 お金に制限があると思ってしまう「日本的ルーツ」
この「お金に(実物的な)制限がある」という誤解は、あと一つ日本的なルーツがあると思っています。
日本は第二次世界大戦の敗戦後、長い間1ドル=360円の「固定相場制」でした(~1973年に変動相場制に移行)。その時代、1ドル=360円を維持するために、海外渡航の際の外貨持ち出し金額が制限されていました。
例えば1970年では上限1,000ドル、その後徐々に緩和され、1978年に制限は撤廃されました。
この制限は、360円の固定相場を維持するために、渡航に伴う日本国内での円売り・ドル買いに一定の枠を設けるものです。固定相場維持の為に必要な(国内)外貨を維持する目的です。
高齢者の方々はこの記憶が鮮明らしく、「お金に制限がないなどトンデモない、昔は海外に行くときお金の持ち出し制限があったものだ」などと宣います。国内にお金の貯蔵庫があり、海外に持ち出すとそれが減っていくイメージを描いているようです。昔はその貯蔵庫が小さかったから持ち出し制限があり、経済規模に伴い貯蔵庫が大きくなり規制が撤廃された、と思っているようです。
金融緩和を危険視する高齢者 インフレの記憶を消して欲しい
少し話が変わりますが、一般に高齢者の多くはアベノミクス/異次元緩和に反対していた様に思います。「効果ない」「リスクが高い」「滅茶苦茶な政策」と、こちらが不思議になるくらい感情的に拒否する人が多かったです。
老人は新しいことを本能的に拒否しますが、加えて上の例(一ドル360円時代の記憶)も一つの原因でしょう。また彼らの現役の頃が「インフレの時代」であったことも大きい。
インフレの時代は、インフレ制御の為にお金の発行は絞られます。しかしこの記憶によって「お金に制限がない」という事実に、拒否反応が生まれるのです。
我が国では、政界・財界・学者・マスコミなどで相変わらず高齢者の発言権が高いです。
彼らの発言を聞いていると、過去の自分たちの経験が今でも通用するという驕りを感じます。
今の現実は「デフレの時代」です。しかも20年以上続いています。デフレの時代にはインフレとはまるで逆の発想が必要なのに、理解しようとしません。
高齢者は「インフレの時代」の成功体験を誇らしげに語って、若者に説教します。しかし、敢えて過激に言えば「インフレの時代は余程の馬鹿でない限り商売は成功する」のです。だって商品を買いたいという需要が溢れるほどあるのだから。
また「インフレの時代」は起業も多く出てきます。なぜなら失敗しても他の働き口が見つかるので、起業のリスクを取れるのです。
「デフレの時代」はまるで逆です。需要は減る一方、一度貧困に転落すると二度と這い上がれません。逆回転しているベルトコンベアーでランニングするようなものです。
デフレを脱却しないと、日本は早晩アジアの貧国になるでしょう。10年後は、アジア各国で日本人は低賃金の労働者として珍重されるはめになるでしょう。
デフレ脱却はこの流れを逆転させる本丸です。その実現のためには国民の多くが「お金とは何か」「金融財政政策とは何か」を理解する必要があります。もう騙されている時間はありません。