
7/8日経、大機小機「日本の課題 先送りを許すな」を読みましたが、酷い内容です。
前の投稿で批判した、東京財団政策研究所の「緊急提案」に酷似しており、コロナ対策が低生産性企業の温存や財政赤字拡大に繋がってはならないと、筆者「与次郎」氏はご高説を垂れています。
日本の財政「赤字」は、財務省や多くの政治家、そして周辺の学者・エコノミストが喧伝するような(危機的)状況には全くないことは、前の投稿で説明しました。
山本太郎氏が都議選に出るなどで、日本の財政についての関心と正確な理解が、徐々に増えていることは良い傾向だと思っています。ただ、まだまだ誤解されている(騙されている)方が多数だと思います。
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生産性が低いのは「自己責任」か
この大機小機を読んで「その通りだ、政府はバラマキを止めろ、我々は痛みを覚悟して構造改革を進めなくては」とご高説を垂れる「街の評論家」も多いです。私の経験だと、高齢者男性に多いですね、こういうことを言うのは。困ったものです、彼らには。頭が固くて考えを変えようとしないし、暇だから選挙に行くからね。昔の老人みたいに隠居してくれないかな。
さて、与次郎氏は「低生産企業の温存云々」と婉曲に表現していますが、要は「生産性の低い企業は潰れろ」と言っているのです。日本人が大好きな自己責任論で、生産性が低い=努力が足らないのだから、とっとと退場しろと。しかし、生産性って本当に自己責任なのでしょうか。
生産性の定義を確認する
「生産性」って良く使われる言葉ですね。特に「労働生産性」について日本はOECD加盟国の中でも低く、「日本人は働き方改革が必要」と、偉そうなご高説を新聞などで良く見ますよね。
労働生産性の定義を改めて確認しますと;
労働生産性(P)=付加価値(=GDP)÷ 投入労働量(L)
労働生産性(P)を上げるには、GDPを上げるか、Lを下げるかです。
Lを下げるとは、休暇取得推進や残業制限などです。いま国を挙げて進めていますね。
労働生産性の重要性を強調する人は、この式を GDP = P x L と解釈しているのでしょう。
即ち、Pが低いからGDPが低い(不景気)のだと。P→GDPの因果関係と捉えるのです。
生産性は需要動向で決まる
しかし、労働生産性が低いのは不景気だから(GDPが低いから)、が日本における実情でしょう。
単純な話です。例えば、売れ行きが好調な製品の工場の従業員は忙しいです。フル回転で働いている感じです(労働生産性が高い)。ところが売れ行きが落ちると暇になります(労働生産性が低くなる)。要は製品の需要動向次第で労働生産性は高くも低くもなるのです。
需要動向はどうきまるって?もちろん、魅力ある製品が必要条件ですが、十分ではありません。消費者に購買力があってこそ、必要十分となるのです。
そして、消費者の購買力(需要)はその国の経済成長率に決定的に依存します。
日本の生産性が低いのは経済成長を「させない」から
日本は、世界でも珍しく(ほとんど唯一)数十年経済成長を「させない」国です。GDPを「増やさない」国で労働生産性が上がる訳がありません。上式(P=GDP÷L)が示す通りです。
ここで「させない」「増やさない」と能動的表現にしたのは、日本の経済政策が「成長をさせない」政策だからです。
アベノミクス前、日銀は海外では常識のインフレ目標政策を頑なに拒否してきました。アベノミクスも徐々に変質し、消費税を2度も上げ、今や緊縮財政路線です。
これでは経済成長するわけがありません。労働生産性の低さは経済政策の失敗が原因、自己責任などでは全くありません。
長期的目標に意味があるのか
この大機小機の筆者は「政府は長期的な視点をもって先送りを許すな(長期的な経済・産業政策のビジョンを持て)」と宣うのですが、よく聞くこの主張は、あまり意味をもつものではありません。
官僚が描く産業政策は民間の邪魔にすぎない
日本の官僚、特に経産省はやたら供給サイドに口を出したがることは前に批判しました。企業にとっては迷惑なだけです。
過去の産業政策を見ても、成功したものは見つかりません。最近では「情報大航海プロジェクト」「次世代高速通信プロジェクト」とかありましたが、どうなったのだろう?
もっと古い時代、通産省の時代も酷かった。「重厚長大」産業を重視して、「鉄は国家なり」として鉄鋼業をやたら支援していたね。
トヨタが昔、織機製作所の時代(1930年代)、その技術を応用して乗用車生産に乗り出そうとしたとき、「俺の目の黒いうちは許さん」と(当時)通産省幹部が反対したと聞いたことがある。
今は「クールジャパン」とか言って何かと絡もうとしていますが、日本のアニメは何の支援もなく(というか、むしろ蔑視に耐えて)日陰から育ったもの。
政府の長期的産業ビジョンなど全く無駄です。むしろ民間の邪魔にしかなりません。
民間企業ですら「長期経営計画」はもはや流行らない
民間企業の「長期経営計画」も今やあまり作成されなくなっています。日本企業が一番(長期経営計画に)熱心ではないでしょうか。アメリカの企業はあまり作成していないと思います。
なぜか?技術や社会の変化があまりに激しく、長期計画を策定しても、時が経つにつれ現実との乖離が激しくなり、全く使えなくなるからです。
現実が激しく変化するのに「過去作成した」長期計画に拘ったら、むしろ危険なのです。
日本の製造業で衰退が著しいところは、概ね過去を引きずり、過去に拘った結果です。
明文化されていない「暗黙の長期経営計画」に潰されたと言えないでしょうか?
では成功する企業はどうしているのか。
現実に起きている「今」に敏感に反応し、対応するのです。身軽に変身を遂げるのがコツ。
PDCA(Plan Do Check Action)という言葉がありましたね。これはもう使えません。
PDA(Plan Do Action)です、今は。Checkなどに時間を使ったら「今」に追いつきません。
でも日本企業はPDCAの中のCheckが大好きです。。。
「長期経営計画」よりはむしろ、経営者のビジョンを肉声で(アドリブで)語ることが重要でしょう。
特に海外の投資家はそれを期待していますね。しかし日本の経営者からはあまり聞くことができないと、こぼされます。
経済成長の担保があってのイノベーション
政府の話から少し脱線しましたが、長期的な産業ビジョンは無駄、使えない、と言いたかったのです。民間企業ですら長期経営計画はむしろ足枷になる。
思えば、イノベーションは常に異端の人物から発生します。異端は「変人」と言ってもよいかもしれません。私は笑ってしまったのですが、少し前「革新を起こす産業への長期計画」という提言が、どこかの政府関連団体から出ていました。
「革新(異端)を計画」するって、語義矛盾でしょう。異端は計画できないから異端なのだから。
本当に官僚の発想って馬鹿見たい。成績優秀だった人たちが何をやっているのだろう。
誤解しないでください。政府は何もするな、と言っているのでありません。
異端の人、イノベーションを起こす潜在能力を持つ人物も、経済成長がない国では成功を掴めません。国民の購買力が徐々に縮小するなかで(経済的)チャレンジをすることは、逆回転するベルトコンベアーで走るようなものです。
政府に期待するのは「順回転する」ベルトコンベアーです。つまり経済を成長させる政策です。
簡単です。今までと逆をやれば良いのだから。実際、リーマンショック後FRBは日本の金融政策の失敗を教訓に量的緩和を進めました。中国の経済官僚は日本のデフレを良く研究していると聞きます。
産業について当たりもしない将来など計画せずに、今の経済成長を実現することに力を注ぐことが政府に期待することです。経済成長を「先送り」することは許せません。