
【マンキューの十大原理】
人々はどのように意思決定するか
1.人々はトレードオフに直面している
2.あるものの費用は、それを得るために放棄したものの価値である
3.合理的な人々は限界原理に基づいて考える
4.人々は様々なインセンティブに反応する
人々はどのように影響し合うのか
5.交易(取引)は全ての人をより豊かにする
6.通常、市場は経済活動を組織する良策である
7.政府が市場のもたらす成果を改善できることもある
経済はどのようにして動いているか
8.一国の生活水準は、財・サービスの生産能力に依存している
9.政府が紙幣を印刷しすぎると、物価が上昇する
10.社会は、インフレと失業の短期的トレードオフに直面している
Contents
人々はどのように影響し合うのか 3
十大原理の5~7「人々はどのように影響し合うのか」、今回は7について説明します。
政府が市場のもたらす成果を改善できることもある
前回「6.通常、市場は経済活動を組織する良策である」について解説しました。今回第七原理は、前回の「通常」に当てはまらないケースの説明となります。つまり、「主は市場で、政府は従」という建付けになっていることに注意ください。私はこの建付けには基本異論ありませんが、人によっては「主は市場」を強調し過ぎるきらいがあります。レッテル貼りではありませんが、いわゆる「新自由主義」と言われる論者、そして金融系のエコノミストにこの傾向(市場を強調し過ぎる)があります。極端に市場を重視する彼らの言説は誤りです。この点は留意ください。
第七原理による「政府の役割」は以下に整理されます。
- 私有権が侵食されないルールの番人としての役割
- 「市場の失敗」を補う役割
①「外部性」の存在
②「市場支配力」の行き過ぎ
「ルールの番人」としての政府
経済活動が円滑に行われる前提として、「私有財産」が認められ、それが保護されることが必要です。「自分の収穫物が盗まれるとわかっている農民は耕作をしないだろう」と説明されていますが、政府は強権をもって「盗む」行為を防ぐことが期待されるのです。
「財産の私有が認められる」ことで経済が活発化するのは、第四原理「人々は様々なインセンティブに反応する」で説明できますが、第七原理は、政府が強権をもって「私有財産の実質性を担保」することの重要性を説きます。
いくら「私有財産を認める」と言っても、夜盗が徘徊し生産物を収奪されてしまう、誰も取り締まらないのでは、財産が実質的に私有されているとは言えません。実際、世界の歴史を見ても、政権が安定せずに治安が悪化した時代は、生産及び交換が著しく低下して経済が落ち込んでいます。
「私有物を収奪してはいけない」という基本的なルールは、強権を持って維持する必要があります。その番人としての政府の役割は重要です。
「市場の失敗」とは
「ルールの番人」としての政府の役割はわかりやすいと思います。
次の「市場の失敗」は少し難しいかもしれません。大別して二つあります。
外部性
「一人の行動が無関係な人の経済的厚生に影響を及ぼすこと」を外部性と呼びます。
典型的な例は「公害」です。企業が排出物を海に流し、それによって汚染された海産物を食べた住民が病気に苦しむ。。。1960年~70年代の日本で頻出しましたね。今は少なくなりましたが、政府が法律などで企業の排出行為を規制した結果です。企業と住民という、私人間でのやりとりでは、周辺住民の(侵された)厚生は改善しないのでした。
上記は「負の外部性」の例ですが、「正の外部性」も存在します。例えば「街の外観」です。京都には古都に似合ったデザインのカフェ(町家風のスタバなど)が多くあります。このカフェを作ったオーナーによって、京都の古都としての魅力は増し、他の観光業者もメリットを受けるのです。外部性がプラスに働く例です。
但しこの例は、古都に似合わない賑々しい外観のカフェを開こうとしても、京都人のあの内部監視機能が働いて、オープンできなかったのが、実態かもしれません。この場合、監視機能が準政府的に機能したともいえます。京都人恐るべしです。
現状のコロナ騒動でも「外部性」の事例が見られます。それは「若い人の外出」です。
若い人はコロナに罹患しても、重症化する、まして死亡する確率はゼロに近いです。つまり、若い人にとって外出のデメリット(コスト)はほぼゼロです。一方、70代過ぎの高齢者にとってコロナの重症化率はそこそこ高いです(普通のインフルエンザと同じでは?と個人的には思いますが)。この場合、若い人にとって「コロナ禍は外部性」です。何故なら、自分の行動が影響を与えるのは他者である高齢者なのだから。よって、若い人に「自主的に」外出を控えろ、というのは無理筋です。公害の例を思い出してください。会社、しかも東証一部上場の「立派な」企業、が自主的に垂れ流しを止めましたか?
ところで「若い人とコロナ」は、経済原理を幾つか思い出させます。
まず第二原理「あるものの費用は、それを得るために放棄したものの価値である」;
「若い人の外出自粛」の社会的な費用はゼロでしょうか?とんでもない。飲食店や行楽施設など莫大な額の損失を被っています。その費用によって得るものは?それは高齢者の罹患(そして重症化)です。つまり、外出自粛という莫大な費用を払って高齢者の重症化リスク低減を買っている、のです。このトレードは果たしてペイするのでしょうか?
次に第一原理「人々はトレードオフに直面している」;
「若い人のワクチン接種」のトレードオフついて考えてみましょう。繰り返しますが、若い人にとってコロナのリスクは僅少です。一方、今回のワクチンは「短期的な副作用は少ないが長期的な影響は未確認」というのが実態です。つまり、「ただの風邪に過ぎないコロナに対して長期的な副作用があり得るワクチンを接種する」事態に直面している訳です。この状況のトレードオフ関係は自明で、若い人にとって「接種しないこと」が合理的です。
こういうと「高齢者を含めた社会全体の為に若い人にも協力してもらおう」と言い出す人がいるかもしれません。まず、「協力」というと何か美しいですが、実態は「犠牲」ですね。
こういう方に言いたいのは、全体の為に個を無条件に犠牲にして良いのでしょうか?例えば左翼系の人は成田空港建設に強硬に反対していましたよね。日本社会全体に必要と言っても「一人の犠牲も許せない」と言い張っていましたよね。
「緊急事態宣言」や「ワクチンの国民的接種」の本質はここにあります。つまり「若い人を犠牲にして高齢者を救う」「社会全体のために若い人に負担を負わせる」。
デフレ放置もそうですが、日本は若い人を虐めるのはもう止めたほうが良い。
市場支配力
市場支配力とは「1人の個人(あるいは少人数のグループ)が市場価格を過度に左右できる能力」のことです。
これの何が問題かというと、放置しておくとその個人・グループが市場を独占する状況が生まれるからです。一旦独占状態が生じると、新規参入企業は排除されてしまいます。その市場では、消費者は独占企業が設定する(割高な)価格に甘んじる他なくなります。
この問題を回避するために「独占禁止法」が作成され、企業活動は厳しく監視されています。私の経験からも、同業者間の会合、会食などで不用意な会話(新製品の価格設定の情報交換など)は(当局から)追跡されていると感じます。そのような会話をしないのは当然として、できるだけ同業者の会合には参加しないよう、社員を指導しています。
「独占禁止法」は、歴史的にはアメリカが一番厳しく運用してきましたが、最近気になるのがGAFAに対する対応です。何か甘すぎる様に感じるのです。これらIT企業が独占化しやすいことは、「限界費用」の観点で一度説明しましたね。
GAFAは国家よりも強大になり過ぎて、あのアメリカでも対処できないのでしょうか。アメリカ民主党は独占に対して厳しく対応してきた歴史があります。なんだかんだありますが、バイデン政権にはこの点期待したいものです。