
【マンキューの十大原理】
1.人々はトレードオフに直面している
2.あるものの費用は、それを得るために放棄したものの価値である
3.合理的な人々は限界原理に基づいて考える
4.人々は様々なインセンティブに反応する
5.交易(取引)は全ての人をより豊かにする
6.通常、市場は経済活動を組織する良策である
7.政府が市場のもたらす成果を改善できることもある
8.一国の生活水準は、財・サービスの生産能力に依存している
9.政府が紙幣を印刷しすぎると、物価が上昇する
10.社会は、インフレと失業の短期的トレードオフに直面している
Contents
人々はどのように意思決定するか ③
十大原理の1~4「人々はどのように意思決定するか」、今回は4について説明します。
人々は様々なインセンティブに反応する
人々は「便益」と「費用」を比較して意思決定をします。よって、便益と費用が変化すれば、人の意思決定は変化します。
例えば、消費税が上がれば人々の消費額は減少します。当たり前ですね。消費の便益は変わらないのにその費用が増加するのですから、消費は全体として減退するのです。
このとき、消費増税は消費減退へのインセンティブとして働いた、と経済学では表現します。日本語では「誘因」でしょうか。
当たり前のようですが、以下例を見ていきましょう。以外と複雑なことに気づくと思います。
アメリカのシートベルト(義務)法の実話
マンキューのテキストで事例として紹介されているのが「シートベルト法」の話です。
50年ほど前、自動車事故による死亡者数を減らす目的でシートベルト着用が義務化されました。
結果どうなったか?ドライバー(含む同乗者)の死亡者数はほぼ変わらずで、事故に巻き込まれる歩行者の死亡数は増えてしまったのです!
その理由は、シートベルト着用でドライバーが安心してしまい、運転速度を上げる人が増えてしまったのです。即ち、シートバルトが高速運転へのインセンティブになってしまった。。。
高速運転でも、シートベルトによって車中の人間の事故死亡率は変わらなかった。しかし、歩行者に対しては(この法律の前後で)安全対策に何の変化もありません。より速く運転する自動車事故に撒きこまれた場合、歩行者の死亡率は(ある意味当然に)上がってしまったのです。
シートベルト着用がドライバーに与えるインセンティブを事前に良く分析し、同時にガードレール強化などの対策を施せば、この様な悲劇は起こらなかった事例です。
会社の業績評価について
会社で社員を働かせるための一つの鉄則があります。それは、社員は評価される仕事をする、ということです。もう少し正確に言えば、社員は評価されない仕事はしない、です。
それほど、評価は仕事へのインセンティブとなる、のです。
社長が理念を語るのは大事ですが、その理念通りに仕事を社員にさせるためには、語るだけでは全く不十分です。ほんの一部の社員は「理念に基づいた仕事」を自ら実行するでしょう。しかし大多数の社員は「理念」ではなく「評価」を意識するのです。よってはっきりとした評価軸(Key Performance Index)を示すことが、社員を会社が企図する方向で働かすために、極めて重要になるのです。
日本企業はこの評価軸を示すことが苦手です。ただ出社し、上司に従うことが評価軸となっていることが多い様に思います。
海外では評価軸がはっきりしており(殆どが数値化されている)、期末の評価面接などで現地社員は、何でこの項目はこの点数なのか、とそれはしつこく聞きます。上司からの回答が曖昧だと、とたんにやる気をなくします(逆に日本化した現地社員は、あまり評価軸は関係なのだと悟り、仕事を適当にやるようになります)。
日本の官僚や銀行員が「働かない(*)」のは、そのようにインセンティブが与えられないからでしょう。昔通りに失敗しないで働くことが、評価軸となっていると思います。
(*)残業も多く働く「時間」が多いことは知っています。しかし、本当の「働き」とは海外の様に効率的なデジタル化や、新しい分野を開拓することでしょう。その様な評価軸が彼らに与えられているとは全く思えません。
少額罰金のジレンマ
海外では保護者が子供の登下校を一緒にするのは常識です。夫婦でローテーションを組んでいるらしく、私も部下から良く「ワイフが迎えに行けなくなったので早退させてください」と度々リクエストされたものです。
そういう学校の下校時間、迎えの保護者が遅れてしまうことがあります。学校側としては、下校時間が過ぎたから(門から出して)はいさよなら、という訳にはいきません。先生たちが遅れた保護者を子供と一緒に待つのです。
遅れる保護者が減らないことに音を上げた学校はある日、罰金を徴収することを考えました。例えば30分の遅れに千円徴収するとか、保護者に伝えたのです。
それから遅刻者が無くなるかと思いきや、むしろ増えてしまったのです!しかも5分、10分の遅刻ではなく、みな30分遅れるようになってしまった。。。
これは罰金が遅刻防止のインセンティブにならなかった例です。むしろ(罰金前は)罪悪感、羞恥心などが遅刻の歯止めになっていたのが、「千円払えばいいのね(悪くないね、恥ずかしくないね)」と考えるインセンティブになってしまったのです。ぎりぎり30分まで遅刻するのも、わかりやすいですよね。
コロナ禍における東京都の対応
東京都のコロナ対策は本当に酷いと思っています。コロナ禍を煽っているのかと、時に思うこともあります。
その中でも、飲食店が対策ガイドラインを守らないばあい、罰金を検討する、との方針は酷いと思います。
飲食店はコロナ禍の被害者です。その被害者に自粛、対策ガイドライン順守を「お願い」するのが東京都です。そのお願いに対して罰金を取るとは。。。
「命令」ではなく「自粛要請」としているのは、飲食店に対する「補填」を避ける為なのは明らかです。本来東京都は、自治体の代表として「補填」を行い、その予算を国に請求する立場です。しかし都知事は自分の政治的立場(中央政府に借りをもちたくない)を重んじて、一切そのようなことをしようとしない。。。
さて、その罰金ですが、少額の場合、先の「罰金のジレンマ」が起きるでしょうね。一万円とかのレベルでは、「払って通常営業するほうがいいや」と思う飲食店が出るだろうし、私は当然だと思います。
心理的抵抗といっても、もはやコロナは普通の風邪程度、と思う人が(口には出さなくても)増えています。みな、薄々「何かおかしい」と思い始めています。通常営業への罪悪感は殆どないでしょう(そしてそれは当然です)。
東京都は、また意味のない対策リストを一つ加えるのでしょうね。
彼らに本当の仕事をするインセンティブを与えるにはどうしたら良いのでしょう?
選挙権のある国民(都民)が騙されない知識を身に着けることでしょうね。なめていると落とされる、と思わせるインセンティブを(彼らに)働かせるのは、私たちなのです。